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試作の魅力

新しい作品を考えるのは楽しいものです。理由はたくさんありますが、そのなかの一つに試作品の持つ独特の魅力が挙げられます。

冷静に考えてみると、試作品は試作品にすぎません。他人から見たら紙くずといわれても仕方のないものも多いものです。また実際に、ほとんどの試作は折りゴミといわれてもしょうがない形をしています。その折りゴミに魅力を感じるとするならば、そのものの形以外の何かに惹かれているはずなのです。

まあ、何かが出来ていく途中の形というのは、見る人が見れば、それだけで面白いものではあるものですが。

「試作中の作品が素晴らしいのは、その先分岐していく折りの可能性を全て含むからである。」

仮に、その何かを「試作品の可能性」だと、仮定してみます。

試作品とは、掘り出されたばかりの宝石の原石のようなもので、そこに無数の可能性を内包している。そのたくさんの可能性を感じられるからこそ、試作品がすばらしく思える。
「あれも出来る、これも出来る。全部が実現すれば最高の作品になるに違いない。」
そんな創作者の妄想が、紙くずを未完の傑作と変えてしまうというのは、創作をした事がある人であれば、ある程度は理解ができるのではないでしょうか。

ちなみに、この考えを進めていくと、以下のような結果が待っています。

「完成に近づくほどダメになっていくのは、それが持つ可能性が少なくなっていくからである。」

折り進めていくと、可能性の分岐はどんどん少なくなっていきます。もちろん、折る方はなるべく良いものを選んでいるはずですが、それでも選ばれなかった分岐の先には、常に魅力的な形や構造があるものです。形を選んでいく過程の中で、創作者は現実と向き合い、過大評価していた手の中の試作に対して失望していきます。

そして、

「完成した作品というのは、無数にある可能性を、たった一つだけ残してそぎ落とした、枯れ枝のようなものである。」

……さて、困った。

どれだけたくさんのすばらしい可能性を持っていても、それを全部同時には実現できません。実際に作品に詰め込めるのは、良くて数割、もしかしたらそれ以下かもしれません。

創作において、完璧な選択は存在しませんが、一人の創作者としては、自分の選んだ結果が最善のものであったと信じたいところです。

追記:解決方法として、「それぞれの可能性を追いかけた連作」もしくは、「分岐を繰り返す創作作業自体を作品化」という形で発表するという方法が考えられます。それが良いかどうかは別として、創作折り紙ツリーとでもいうような実験的な方法としては、面白そうではある。